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部屋が荒廃してきた

最近、フリーのお仕事のようなものから、ちゃんと肩書がつくような少し忙しい仕事へとランクアップした。もともとかたぎのような商売ではない世界なので、このランクアップが破滅への一歩なのか、そこそこ生活を安定させるための一歩なのかはよくわからないが、まあ良しとしておこう。

 

そんなわけで、満員電車に揺られるようなことこそないものの、規則正しい生活、きっちりと時間が決められた生活といった方がいいかもしれない、そんな生活を送らざるを得なくなった。

 

6時ごろに目を覚まし8時ごろに家を出て、21時くらいに帰宅する。そんな具合である。まあまじめに学校に通える人や会社で過ごせる人なら何のことはない暮らしだし、ブラックなんて言われる業態で働いている人からすれば「片腹痛いわ」という感じかもしれない。

だが、こんな生活を始めて、つくづく自分はうまく規則正しく生きることが苦手なのだということを実感している。なぜか、部屋が荒廃していくからである。

 

もちろんペットボトルに尿をしたり、食品を腐らせたりというごみ屋敷の匠たちには全く及ばないのだが、つい片づけを忘れたり、つい「水につけておいて明日洗えばいいか」と食器洗いを忘れてしまい、気づけば部屋が荒廃している。

 

面倒なのでカーテンは閉めたまま、机の周りに本が積み上がり、シンクに並んだ食器が山盛りになってから皿を洗い、ごみも収集車がいよいよクル、という段階になってから片付けるなんて具合だ。どんどん部屋の空気がよどみ始めている。

 

元々片付けが得意な人間ではないので、学生の頃も良く荒廃させていたのだけれども、最近はちゃんと片付けられていた。

 

規則正しくない生活をしていたゆえか、幸か不幸か気になった時に掃除をする、という習慣が自分の中にできていたのだ。

だが、規則正しい生活を送るとそちらの方に精神的なリソースを割いているためか、なんだかどうでもよくなってしまう。

「うーん食器がかたづいていないなあ、でも本よみたいなあ」=本を読む方を優先する、という具合である。

 

とはいえ生きることを考えれば今のお仕事は渡りに船という感じ。慣れるまで無理をして掃除をする習慣をつけた方がいいのだろうか。それとも部屋が汚い方が想像力が喚起されるなんて話もあったりするので、そのままにした方がいいのか(もちろんこれは逃げるための詭弁であるという指摘もある)これ以上部屋が荒廃する前にそろそろ決断した方がよさそうだ。