いつみても適当

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スクワットしながら関節に思いをはせている

 「hey膝関節、ひざを90度まげて」

 別に普段こんなことを意識しながら僕は歩いているわけではない。実際には微妙に脳から信号が出て、体が動くまでには誤差があるらしいけれど。基本的には無意識に歩いている。そこには何の不自然さもない。コミュニケーションがいらないほどに僕の体は僕になじんでいる。

 ちょっと早く歩こうと思えば足は速く動くし、走ろうと思えば筋肉がしっかりと支えて激しく動き出す。別にウサイン・ボルトみたいに速く走れるわけではないし、エリック・ワイナイナのような持久力もないけれど、別に大丈夫だ。ただそれも2,3年前までの話だ。

 最近20台も半ばに差し掛かってきたからなのか、なんだか思うように体が動かないとことが増えてきた。少し階段を上ると心臓がはち切れんばかりに脈打ち、そのせいで体がついていかなくなる。ちょっと重いものをもって歩けば、腕や背中は痛くなり、走ろうものなら次の日は腿と臀部が筋肉痛だ。

 まだ経験していないがこのままでは運動会の日に調子にのって昔の栄光にすがったどこぞのお父さんみたいに、足の筋がプッツンするかもしれない。

 こんな感じで脳みそと体の不一致が如実に表れるようになってきた。二十歳を過ぎると筋力が衰えると聞いて、まあ別に大丈夫だろうと思っていたのだが、体は正直だ。思いっきりさび付き始めている。

 運動するのはなんだかださい、運動しないでもシャキシャキ活動するバイタリティの塊のような人間を見て、思っていたけれど背に腹は代えられない。僕はどうせマツコ・デラックスにも甲本ヒロトにもなれない。けがをする前に何とかしようと思い、最近は軽く運動するよう心掛けている。

 一時期は「目指せマッチョ」なんて思ってジムに通ってみたのだけれども、どうにも続かない。そんなわけで、結局続けてしているのはスクワットくらいだ。

 ただ、このスクワットというのが曲者だ。筋力の衰えもあるのだけれど、正しい姿勢、動作で行わないとあっという間に腰が痛くなったり、変なところを痛めたりしてしまう。膝を少し曲げる程度の運動だけれども体との対話が肝心なのだ。むしろ僕のような体たらくにはこれくらいのシンプルな運動がやれランニングだジム通いだなんていうのよりいいのかもしれない。

 長く付き合った恋人がいるわけでもないのに、僕は当たり前すぎてその大切さに気付くことがなく疎遠になってしまった恋人との関係を再構築するかのように、色々と体の節々を意識しながらスクワットに励んでいる。

 まあこれで何か生活の質が劇的に上がるということはないだろう。それでもなんだか、意識的にこれまでやってこなかったことをやるのはなんだか気持ちがいい気もする。まあすぐにやめてしまうかもしれないけれど、ぼちぼちやっていこうと思います。