野犬は結構優しかった
小さいころから東京都内で暮らしているので、自然とは縁遠い。たまに都会の闇をたくましく生きる野良猫とかハクビシンとかにはあったりするけど。こんなもんなので、野犬、野良犬なんて存在にはほとんどであったことがなかった。
出会いの場所はもっぱらペットショップのショーケースの中である。ちなみにドッグカフェには言ったことがない。行ってみたいと思っているけど。
だが、こんな私も一度だけ自然の中で人と関わることなく生きる犬、”野犬”にあったことがある。それは学生時代に東南アジアでフラフラ旅行していた時のことだ。
場所はミャンマー。たまたまチケットが安く手に入った、それだけの理由で訪れたわ私は、ディープな場所に行くことはなく、首都ヤンゴン、北部の中心都市マンダレイ、そして世界遺産にもなっている遺跡群バガン、といういかにもミーハーなスポットを2週間くらいかけて廻った。
旅の途中多くの野良犬と出会った。日本とは違い、ミャンマーに限らず、東南アジアでは普通に都市部で犬が首輪もつけづに歩いている。ただ、これは日本でいうところの地域ネコみたいなもんで、いろんな人に大事にされていて、体は臭くて汚いが、妙に人懐っこいという特徴を持っている。
まあ本質的な意味での野生ではない。「フーンこんな犬もいるんだあ」ぐらいに私は思っていた。そんな私が野生の犬と対面することになったのがバガンである。
未舗装の道路の両側に史跡がゴロゴロしており、さながらインディージョーンズのような気持ちになりレンタルした自転車にまたがっていた私は、とある遺跡の前で強烈な腹痛に襲われた。
もちろんトイレなんてしゃれたものはどこにもない。そのあたりの人影のない草むらを探すしかなかった。遺跡の傍に自転車を止めた私は、周囲の草むらを探した。幸い、ちょうどいい木陰のような場所を見つけることができた。紙も持っていたので問題はなく、外でしているということを除けば普通に用を足すことができた。
しゃがみこみ、ほっと胸をなでおろすと事態が一変した。周囲に3頭の犬が集まっていた。うなってはいない。だが徐々に距離を詰めてくる。「もしや彼らの縄張りに足を踏み入れてしまったのか」しゃがみこんだ素っ頓狂な恰好をした私の額に嫌な汗がたれた。
犬はどんどん近づいてくる。出るものもの出なくなってきた。「どうやって逃げようか」そんな考えが頭の中をよぎり始めたとき、私から数メートルくらい前の地点で犬達が、すっと腰を下ろした。
こちらの恐怖を察知したようでもある。彼らの顔を目を見つめないようにしげしげとみてみると「あ、お気になさらず、あんまり見ない人が来たんでちょっと見に来ただけっす」みたいな穏やかな顔をしてやがる。なんなら、「そんなにビビんないで下さいよ~(笑)」といったおもむきだ。
ひとまず危機は去った、と感じた私はおもむろに処理をし、立ち上がった。すると私の挙動に合わせて犬も立ち上がる。「しまった急に動きすぎたか」と思ったのだが、犬は別に何をするわけでもない。穏やかなままだ。
「これ以上調子にのるとこっちも動かざるを得ないんで」みたいな近寄りがたさは出しているものの、敵対的ではない。「これが野犬か、実家の犬とは違う」という感慨とも畏怖とも知れぬ思いを浮かべながら、私はその場を後にした。私は振り返らなかったが、彼らも私が動くのを見届けると、去って行ったように思う。
その当時は「命拾いした―」なんて思っていたのだが、今また自然が完全に支配されてしまったようなで環境で生きていると、ふとああいう適切な距離感を持ちながら野生と向き合う事も悪くないのではないか、というきがしてくる。
もちろん全てが全て穏当に済むことはないだろう。壊してしまったものも簡単には戻らない。でも、人間全部が死んでしまえばいいというような動物愛護や現地の人間の暮らしを全く無視した自然保護活動なんかよりはよっぽど現実的なんじゃないだろうか。なんて思ったりもする。どうすればいいんだろうか......。
なんか話が飛躍してしまったので終わりにします。ではでは