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クリスマス、僕は新井式抽選機に球を詰める仕事をしていた。

数年前のクリスマス。僕は新井式抽選機に球を詰める仕事をしていた。新井式抽選機、何のことかわからないという方はグーグル先生に質問してみてほしい。簡単に言えば抽選会のガラガラするやつだ(新井卓也さんという人が考えたらしいぞ!)。

 

僕は当時大学の四年生。就職活動をしなかったことから、卒論も早く仕上がり、暇という暇を持て余していた。もちろん友人らしい友人はいなかったので、クリスマスは一人である。

 

映画を見たりライブに行ったりしようとも思ったが、リアルの充実している人たちが外でキャッキャ、ウフフしているところに一人で乗り込むのも何だか尺である。そんな時、知人の紹介で12月23日から4日間の抽選会のアルバイトを見つけた。

 

場所は中央線沿線某駅のそばにある某複合商業施設。場所も近いし何より楽そう。しかも給与は約10時間勤務うち、休憩2時間で12000円だという。4日働けば、48000円。特別な資格や能力がなくてもできる学生バイトとしては結構いいお給料だ。僕は紹介されてからすぐに連絡をとった。

 

金額がよかったので、もう埋まっていることも考えていたのだが、拘束時間が長かったためか、杞憂に終わり、無事に働けることに。

 

もちろん抽選会のバイト、冒頭に書いた球を込めることが仕事のすべてではない。むしろそれは裏方の仕事で、僕の現場では本来、表に立たない、僕たちを管理する社員さんか、手の空いている人が行うはずだった。

 

僕達に任されていたのは、抽選会に来たお客さんのレシートに「もうこのレシートは抽選会に使えませんよ」というそれらしいハンコをおすことと、来場者数の集計、どれだけあたりが出たかの管理、そして抽選会場へお客さんを誘導することだった。こう書くと結構色々やらなくてはいけない仕事だという感じもする。

 

僕が最初に任されたのは、誘導のお仕事。エスカレーターの前に立ち、「おはようございます!」とあいさつしたり、紙袋をぶら下げて買い物終わりらしいお客さんに声をかけたりすることがその役割だった。

 

僕はこんなブログを書いていることからお分かりの通り、口に出すコミュニケーションが苦手だ。多分コミュニケーション能力のピラミッドがあったら、一番下の隅っこの方で体育座りをしている。

 

そのため、アルバイトも、イベントの設営や撤去。病院やホテルの清掃など、そこまで高いコミュニケーション能力を有さないものを選んでいた。もちろん大きな声を出すのもそれほど得意ではない。

 

そこに来てこの仕事である。とはいえ、僕もさすがにこの当時イベントでの誘導等いろいろアルバイトはやっていたので、さすがにこれくらいなら大丈夫、と、思い込んでいた。

 

僕はそんな根拠のない自信を胸に「おはようございまーす!」「抽選会場はこちらでーす!」と自分ができうる精いっぱいの笑顔、そして周りに迷惑にならない程度の大きな声を意識して、お客さんに呼び掛けた、つもりだった。

 

だが、周りはどうやらそんなこと思っていなかったらしく、アルバイトを管理している社員さんの顔がどんどん曇っていく。「小林君さ、もう少し自然に声がだせないかな、こう、もう少し和やかな感じで」、だって。

 

僕はもう十分に和やかなつもりだった。だが、これでは足りないらしい。自分が考えうる精いっぱいの和やかさを醸し出そうと、表情を気にしたり、声の出し方を気にしたりしてみた。ちらっと社員さんの顔を見る。うん、だめらしい。

 

それから十数分、自分なりの「にこやかさ」「親しみやすさ」をいろいろ試してみたのだが駄目だったようだ。「わかった、小林君、こっちで球詰めようか」と言われてしまった。そして悲しいことに、ここから僕の新井式抽選機玉詰め要員としての4日間が始まってしまった。

 

どんな仕事かと言えば、簡単である。抽選機から出てきた球を再度集め、3等以上の1日に出る回数が決まっている球を除いて、じょうごを使ってまた詰めなおす。それだけだ。

 

球を詰めていない間は他の人の仕事をちょっと手伝ったり、雑務をしたりする。もちろん僕に人と会話をする役目が与えられることはなかった。

 

ただ、この仕事、人によっては非常に退屈に見えるかもしれないが、地味なコツコツとした作業が好きな僕にとっては楽しいものだった。ひたすらに出てくる球を決まったテンポで詰めなおしていく。なんだかとても心地よかった。

 

もちろん、そんなのフレッシュな気持ちが続くのは初日の4~5時間くらいまでで。僕はすぐに飽きた。

 

こうしたイベントに限らず、日雇いの仕事やアルバイトは、「時間で自分を売っている気がする」、と語る人も多い。僕も業種によってはそうだと思う。

 

この新井式抽選機に球を詰める仕事はその最たるものだった。肉体労働のように筋肉がつくこともなければ、試験監督のお仕事のように受験生を支えている、というようなやりがいもなく。ただただ、時間が過ぎていく。

 

工場のように、自分が手掛けたものが誰かの胃袋に入ったり、有名な商品の一部に使われたりすることを夢想することもかなわない。あるのは僕が玉詰めしかできない、使えないやつだという現実だけだ。辛かったので僕は仕事中色々なことに思いを巡らせた。

 

「幸せそうな家族が抽選会に来ている。あの子供が持ってきたレシートはサンタさん(両親)からのプレゼントなんだろうか......」

ビームスの店員さん、裏で見たときは死にそうな顔してたのに、今はすごい明るい顔で接客してる。大丈夫かな、まぁ僕はこんな仕事してるけど」

 

なんて具合である。それでも球を入れ間違えたりしないのだから、この新井式抽選機に球を詰める仕事がどれだけ生産性のないものか、わかっていただけるかと思う。

 

最終的に考えることも嫌になった僕は、子供やカップルの笑顔をしり目に「こいつらがあと100回廻したら12000円だ」「よし、眼鏡市場の店員さんが後2回現場に戻ってきたら12000円だ」と金のことのみを考えて過ごすようになった。

 

周りではアルバイト同士も年末だったり、クリスマスだったりということもあって何だか親し気なムードになっていた。

 

それをしり目に僕は金のことを考えながら、ひたすら球を詰めた。詰めに詰めた。それはもう、球を詰める機械のごとくである。

 

今思えば他のアルバイトから「アイツ球詰めるのだけはすっげぇうまいなぁ」「やめなよ、聞こえてるよ」くらいには言われていたと思うのだが、そんなことも気にせず、「12000円」「12000円」とひたすら球を詰めていた。

 

やっと4日間が終わり、1週間後にもらえたのは48000円。学生向けのバイトだったので源泉徴収はなかったと思う。僕の方はと言えば、金額に嬉しさは感じたものの、感情の中の多くを占めていたのはむなしさだった。

 

「球を詰めていただけでこんなお金をもらってしまった」「仕事に貴賤はないっていうけれど、あんなに,,,,,,」「4年間クリスマス、何もなかったなぁ」

 

と、いうのを今年のクリスマスに何だかぼやぁっと思い出した。思えばあれから数年たったが、今も僕はクリぼっちである。別段1人でも気にならないし、もう一人の方がいい気もしてきたたぶんそれが問題の根源にあるのかもしれない。

 

では